仏の道は地獄の入口

パリの南郊を走るトラム3番線の東端ポルト・ディブリー駅は中華街の入口である。


「中華街」といっても、北京語や広東語を喋るいわゆる中国大陸のチャイニーズ…だけが住んでいるのではない。旧フランス植民地のベトナム系とおぼしき人びとや、その他、広く中国文化を共有する東南アジア系のひとびとが多く住むから、むしろアジア街といったほうが相応しい。街中ではなんとなくアジアっぽい言葉が入り乱れている。街の歴史は詳らかではないけれど、パリというより上海にいる感じで、極東アジア人的には非常にいごこちがよい(日本人は少ないけど)…こういうダイナミックさのなかにいると大中華圏のパワフルさが骨身にしみる。昨今の中国の急成長も歴史的にみれば当然の話で、20世紀のパクス・アメリカーナは21世紀の大中華共栄圏へと移行…するのだろうか。個人的にはムガール帝国復活でもいいのだけど。


中華街で日本人を見かけることは比較的少ないけれど、昨日はこの真新しいトラムのポルト・ディブリー駅で、なんと日本からやってきたらしいテッちゃん…!を見かけてしまった。一眼レフを抱えた身なりと品の良い二人組の日本人紳士二人、嬉々として車体や軌道をぐるぐる巡り撮影を敢行している…。反対方向に電車が入る警笛が鳴っても嬉々として走り回っているので、ホームのひとびとは人の良さそうなオジサンたちを心配そうに見守っていた。オジサンたちはトラムにのりこむと最前席に陣取り、興奮冷めやらぬ熱っぽい口調で語りまくり、次のポルト・ショワジー駅で降りていった。乗降時間せいぜい30秒程度?全駅撮影するのかな…と思ったらその情熱にうたれた。鉄子一年生。


トラム3番線が敷設されたのは大福型をしたパリ市の周縁部を循環する高速道路(ペリフェリックPeripherique)の南側の内円上、セーヌ川に挟まれた部分をちょろっと走る。去年までは大量の自動車がビュンビュン走り抜けていたとすれば、これまで走っていた車はどこにいったのだろう…。


このパリの南側の周縁部トラム化のおかげで街が活気づいた。ペリフェリック界隈はアフリカ系移民が多く住む(中華街は東〜東南アジア系移民が住み着いてできあがったので、逆に言えば、比較的短期の駐在家族を中心とする在仏日本人が目立たないのも当然な話ではある)。ペリフェリックは雰囲気的には環状8号線を悪くした感じ、空気が悪く騒音が響くすすだらけで灰色の界隈はとても歩きたいと思う道ではなかった。お金持ちは空気の悪い界隈を嫌い中心か郊外に流れたのだろう。



トラム敷設により、パリ中心部で働くパリ近郊民が移動のためだけに歩いていた周縁部の街並が多少なりとも整備された。トラムの軌道周辺が緑化され歩道が広がり、交通量が減った分だけたぶん空気も清浄された。すると郊外市民は嬉々として街中をノンビリうろつくようになる。おまけにフランスは大・子育て支援国家なので、昼間のトラムの窓辺をのぞくと、若い子連れのママさんが乳母車をひっぱって遊んでいたりと、まあなんと平和なことか…。ヨーロッパの街は広場と道を中心に発達したので、基本的に外に出て遊ぶのが好きな文化があるのだ。


パリのペリフェリック界隈をジョギングすると、パリの中心部にくらべ、道の舗装は悪いし途切れているし道幅は狭い。さらにこの境界線上でパリ市とパリ市外の格差も明らかに分かる。中心/周縁の格差を知るにはジョギングが一番。パリそのものは公共交通の便が比較的よいのだけれど。


同じ首都である東京も都内の首都高速や道路を半分くらい撤去すれば環境向上、ますます地価もあがり、投資価値もあがるだろう。六本木もトラムで森ビル/ミッドタウン/新国立美術館をつなげれば住民、利用者にとっても、便利でかなり気持よくなる気もするけど。東京は都心部の自動車保有者の便利を奪うようなことはしないだろうな。お金につながらない郊外の整備には興味がないのだ、田舎者に税金を払ってもしかたない、という理屈、である。郊外民のひがみ。


パリ郊外の開発は60年代に盛んに行われたらしい。コルビュジエ先生と同郷のジャン=リュック・ゴダールは『彼女について知っている2、3の事柄』でペリフェリックの解体工事シーンを映しだしている。この映画はそもそも60年代にパリ近郊で進められたユルバニスムをテーマにした映画で、主人公のロシア系フランス人の奥さんはは巨大な集合住宅に住み、日中はアメリカ人相手に娼婦をして小金をためる、という、パリ郊外の典型的な開発風景を描き出す。


ヨーロッパでは50-60年代にかけて個人の自動車の所有数が急激に増えたはずだ(詳細は詳らかではないけど…)。ゴダールの60年代は、出世作勝手にしやがれ』を皮切りに、郊外と中心を自動車で結ぶテーマの追求をみせた。『ウィークエンド』は郊外の週末の牧歌的な風景の裏側に潜む破壊的な地獄絵図を自動車の衝突、破壊、渋滞により浮かび上がらせる。車好きなゴダール的風景は、同じくパリの街区にこだわったヌーヴェルヴァーグの作家でも、たとえば登場人物が延々とパリの街中(裏道、路地、屋根…)を歩くリベット的な風景とは大違いである。ゴダールに憧れる人がパリに憧れるとは思いにくい、ゴダールはパリにシニカルだったから…なんて。


パリ市内の60年代の開発風景を扱った映画では、ゴダールも参加したオムニバス映画『パリところどころ』の「北駅」などがある。パリ北駅はムーランルージュサクレクールの立つセーヌ右岸(=北側)のアフリカ系移民の多い地域。映画の中では、若い夫婦が狭いアパートに引っ越してくるが、朝から近隣で続く建設工事の騒音で不和になる。建設工事と騒音公害という新たな状況が映画のテーマになっている。ヌーヴェルヴァーグが映しだしたのは花の都のイメージの裏側の空間で「疎外」されたひとびとだった。


そういえば最近、パリにある18つの区をテーマにしたオムニバス映画「パリ・ジュテーム」という映画が公開されたそうだけれど、見ていないから知らない。その中の「ショワジー門」はトラム3番線の駅である。まめ知識。


…郊外ばかりをうろついていると、中心と周縁の間でバランスをとるのも重要となる、気がする。せっかくなのでオペラ・ガルニエでシュトラウスの最後のオペラ『カプリッチオ』を見る。イチバン安い「見えない席」…。座席は個室の柱の裏に置かれていて、確かに舞台は見えない。そんなもの、立ち上がってみればいいだけの話…で、ホールの中を眺め回しながら2時間堪能した。地中美術館で「「美術館」も作品です!」と言われて入場料に「美術館」観覧料が含まれたり、それよりも最前列も最後列も全席画一20,000円のオペラ、というのは、なんだかやっぱりボラレテイル気がしてならない、それを考えれば良心的。舞台のほうは、オペラ上演をめぐる駆け引き…という通好みさで、イタリア的なアホっぽい艶っぽさもないし、どこで笑っていいのか分からなかった。シーズン最初だしおひねり的パチパチ、ブタにブヒヒな真珠だったのかもしれない。オペラって難しい。途中から出てきたバレリーナの女の子が可愛かったかな。