仏の善行:ボジャンスキー邸

手持ちのお金がなくなり隣の駅の郵便局まで出かけた。大学都市の電車の切符売場で、ジーナ・ローランズ似の米人マダムと高尾山の帰りのような仏老婦人に切符の購入の仕方を指導する。その他にも構内のベンチでPCをうっていると道ゆく人びとに道を尋ねられ、インスタント写真ボックスやらカフェの場所やら教えてあげたり、今日は拙いながらも人助けをだいぶした気がした。これで寿命も5日くらいはのびただろう。カルトオランジュを1週間分購入したら本当にお財布が軽くなった。


週末はパリ遺産デーだった。仏の僥倖、アンドレ・ボジャンスキー邸に行けることになったので、勇んでブラジルを出る…と、ここでもツアーガイド中。遺産の中に住んでるかと思うと、コル仏に多少の有りがたみを感じる。お家賃はお布施なのかもしれない。


それはともかく、大学都市の駅から郊外の終点まで。同じパリ郊外でも、工業都市クレテイルとは大違いの風光明媚な豊かさ。山の斜面をテクテク昇ると黒い門構えのボジャ邸がたっていた。


1952年の設計。ボジャ氏独立後の最初の記念碑的建物なのだそうである。現在は個人の私邸として使用されている。この公的な見学日のみ所有者のご厚意で庭が開放される。広大な庭に立つガラス張りの邸宅内部を外部からみんなでうかがう…という趣向である。



敷地は傾斜20度くらい?(適当)の山の斜面をしめる。麓側にボジャ氏設計の邸宅がたち、傾斜面にボジャ夫人であるマダム・マルタパンのメタルの彫刻が置かれている。邸宅と彫刻が相互に関連づくところがミソなのです…てな感じのことを、可愛らしい女性ガイドさん(ボジャ家令嬢?)が色々話してくれた。邸宅の反対側のプールに水が張られ、いかにも手入れが良くて、生活の豊かさを感じさせる。楽しかったな。



ブラジルに戻ると、強烈な顔が待っていた。モヤイ像のような表情はボジャ邸にはない。これこそコル的エクスプレッション、ヒトの顔は関係性の縮図で、それぞれが似て非なるものなり。